『バッハ放談』と題し、管理人がJ.S.バッハに関する想いを綴っています。
仮説の上に仮説を積み上げるようなことで、一般論と異なる部分がありますことをご了承下さい。









No.167 : 相続者の運命
2007/10/22
前回に続きまして《6つのソナタ(トリオ・ソナタ)》から、第2曲を。

J.S.バッハ/トリオ・ソナタ 第2番 ハ短調 BWV.526
J.S.BACH/Trio sonata - C Minor BWV.526
m482.mid  オルガン  72.8KB  13′52″

作曲年は1725-29年(バッハ:40-44歳)頃のライプツィヒ時代、曲集6曲の最終稿が纏まったのが1730年(バッハ:45歳)頃と考えられています。

この曲集は、オリジナルはオルガン用ではなく器楽トリオであったと推察されています。
オルガン用は自筆譜という最高の形で現代にまで伝承されましたが、オリジナルの器楽トリオ用は跡形も無く失われてしまったようです。
で、思うに、同じ曲であるのにこの扱いの違いが生じた理由は何なのか?
これを考えてみるのは、チョッと興味深いところがあります。

理由は二つあるようでして、一つはバッハ没後楽曲の自筆譜を相続した人物の運命の違いにあったようです。
オルガン用を相続したのは次男のカルル(カール:生後直ぐに亡くなった兄がいるので実際には三男)で、彼は父の作品を一番大切にした相続人でして、《6つのソナタ(トリオ・ソナタ)》に限らず彼が相続したバッハの自筆譜はほぼ全て後世に伝えられました。
その中には《マタイ受難曲》、《ヨハネ受難曲》、《クリスマス・オラトリオ》、《フーガの技法》等々、バッハの重要作品が目白押しで、今日これらの音楽を聴きバッハの偉大さを高い精度で知ることができるのはカルルの功績であるといえます。

一方、長男フリーデマンは、この点でカルルと対極にある人でした。
彼の相続分は数の点でカルルよりも多かったとされていますが、ハレの聖母教会を辞職した後経済的困窮に陥り、相続した父の楽譜を売って糊口をしのぐという典型的な親不孝生活を送って生涯を閉じました。
売却された楽譜の大部分は行方不明となり、後にカルルやフォルケルのような親族、弟子達、あるいはバッハ自筆譜の収集家等が買い戻しに奔走しましたが、一部しか実現しませんでした。

フリーデマンは相続時にオルガニストをしていた理由から、バッハのオルガン曲の多くを相続しました。
結果として今日バッハのオルガン曲の多くの自筆譜が失われてしまいましたが、《6つのソナタ(トリオ・ソナタ)》 BWV.525 〜 530 はたまたまカルルが相続したことから、オルガン曲としては異例に自筆譜で今日に伝承されたという訳です。

では、失われた器楽トリオ用は誰が相続したのか?
実はこれは不明でして、今日遺されていないという結果からみるとフリーデマンが相続したと想像することもできるでしょう。
また、カルル以外の他の息子達、例えば9男フリードリヒとも想像できます。
フリードリヒもバッハの自筆譜を相続しましたが、彼の死後その息子のヴェルヘルムはそれらについて全く何も相続しませんでした。これは、フリードリヒの未亡人が売り払ってしまったと考えられていまして、これらも殆どが行方不明となりました。後年、バッハ自筆譜の収集家ゲオルクが買い戻しに奔走しましたが、実現できたのは3作品だけだったと伝えられています。
また、11男クリスティアンの相続分も別の悲惨な運命を辿っていまして、結局器楽トリオ用の自筆譜はこれら相続人の運命に巻き込まれ、例えば『マルコ受難曲』のような大作と同様に亡失されたと考えられます。

二番目の理由は、曲の特性によるものです。
器楽用のトリオ・ソナタは17世紀末から18世紀初めにかけて人気のあった音楽形式でして、バッハが没した1750年には良く言えば典型的な伝統作品、悪く言えば古臭い在り来たりの作品であったはずです。
一方、同じトリオ・ソナタでもオルガン単独用となると、纏まった作品を作曲したのはバッハぐらいで、バッハ独自の作品という特質を持った曲集であった訳です。

バッハ没後の『死亡記事』に、『バッハの主要作品リスト』があります。
これには例えば、《オブリガート・ペダルのある作品》、《24の調全部を使用する作品(前奏曲とフーガ)》、《無伴奏ヴァイオリン、無伴奏チェロの作品》、《1〜4台のハープシコードのための協奏曲》等があります。
これらは全て、当時としてはおよそバッハしか手掛けていない比類の無い作品で、このリストの中には当然《オルガン用トリオ・ソナタ》も入っています。
それ以外の作品、バッハの独自性が薄く他の作曲家も沢山作曲しているような作品は《あらゆる種類の楽器のための、あらゆる種類のその他の大量の器楽曲》という表現で一括されていまして、器楽トリオ用の《6つのソナタ(トリオ・ソナタ)》はこちらの分類された訳です。

つまり、オルガン用はバッハ独自の新しい特質があったので継承者は伝承意欲を掻き立てられ、反対に器楽用はあまりにも当たり前の作品であったので人々の興味の対象とならず伝承候補から淘汰されてしまった、という訳です。


前述で、『カルルが《6つのソナタ(トリオ・ソナタ)》をたまたま相続した』の旨記しましたが、これはもしかすると“たまたま”ではなかったのかも知れません。
他の相続した曲を見ましても、カルルは他の兄弟達に渡る父の遺産の運命を予感してなのか、『これは後世に遺さなければ』という作品をできるだけ選んで相続したように感じるのは私だけではないと思います。

とこで、バッハの亡失された大曲に、例えば《マルコ受難曲》があります。
この曲に関する書籍の記事を眺めていますと時々『亡失された(台本だけがあって曲は失われています)《マルコ受難曲》は、《マタイ受難曲》よりも素晴らしい作品だったであろう』というような意見に出会うことがありますが、私はこれはどうだろうか? と思っています。
カルルは、相続の時に《マルコ受難曲》を他の兄弟達に譲り、自らは《マタイ受難曲》、《ヨハネ受難曲》の相続を希望したと考えたくなってしまいます。
であれば、カルルは前述の考え方から作品の重要度順で選択したものと想像できますので、マルコがマタイ以上の作品であったとは私としては考え難い・・・、

と思う訳ですが、大分理屈っぽくなってしまいました。

クラシック音楽は作品自体の力ばかりでなく、相続者の運命も味方にしないと後世に生き残れない、そういうことのようです。

No.166 : トリオ・ソナタと映画の中のバッハ音楽
2007/10/07
楽譜調達の事情で更新間隔が開いてしまいましした。ご容赦下さい。

異稿シリーズは一旦脇に置いておきまして、今回はこの曲を。

J.S.バッハ/トリオ・ソナタ 第1番 変ホ長調 BWV.525
J.S.BACH/Trio sonata - E Flat Major BWV.525
m481.mid  オルガン  76.9KB  15′52″

BWV.525 〜 530 の6曲は、《6つのソナタ(トリオ・ソナタ)》と呼ばれる一連のオルガン曲集となっていまして、BWV.525 はその第1番となります。
作曲年は、6曲の最終稿が纏まったのが1730年(バッハ:45歳)のライプツィヒ時代と考えられています。

曲の伝承は、バッハのオルガン曲としては僅少の自筆譜で、現代では自筆譜の紙やインクの分析も進んでいまして、紙の透かし模様から1727-1732年の間にバッハが使用していたものに記されていると判明しています。

題名の『トリオ・ソナタ』とは、17世紀末から18世紀初めにかけて人気のあった音楽形式で、2つの旋律楽器と1つの通奏低音の3つの声部で構成されるところからそう呼ばれています。バッハはこれをオルガン単独で、それぞれの声部を右手、左手、ペダルに割り振って作曲している訳です。

バッハのオルガン曲、それも自由形式のオルガン曲というと、例えば BWV.656 のように重厚で幻想的、演奏も即興性が高く名人芸的技巧を必要とする、というようなイメージがありますが、BWV.525 は非常にあっさりとして見せ場も少ない作品となっています。これは、この曲(集)がバッハの長男フリーデマンの練習用として作曲されたからである、と考えられています。

また、この曲のオリジナルはオルガン用ではなく、器楽トリオであったとも推察されています。
バッハの晩年の弟子であるヨハン・クリスティアン・キッテルの門下生カール・クリスティアン・ケーゲル(1770-1843)の遺したバッハ鍵盤作品の冒頭主題付き目録に紹介されている BWV.525 は、変ホ長調ではなく変ロ長調で書かれています。これにより、オリジナルは器楽トリオとして変ロ長で作曲され、オルガン用としてはこの調が使われることが当時ほとんど無かったため、編曲の際変ホ長に移調したものと考えられています。

トリオ・ソナタについてはまだまだ記したい事柄もあるのですが、実はこれから6曲続けてアップする予定でして、先行きネタが尽きてしまいますのであえて話題を変えさせて下さい。


最近、映画を観ているとバッハの音楽が使用されているのに出会うことが少なからずありまして、紹介したいと思います。

まずは、9月27日、12チャンネルでテレビ放映されていた『エントラップメント』。
キャサリン・ゼタ=ジョーンズ演じる保険会社の女性調査員ジンが、ショーン・コネリー演じる美術品泥棒マックの前でピアノを弾くシーン。
曲は、平均律クラヴィア曲集 第1巻より 第1番プレリュード でした。

レンタルの新作DVDから、まずは『サンキュー・スモーキング』。
アーロン・エッカート演じるタバコ業界のPRマンとその仲間である死の業界人(?)達が、新聞で業界の内幕を暴かれるシーン。
曲は、フーガ ト短調 より フーガ 、女性スキャットの編曲でした。

同じく新作DVDから、『こわれゆく世界の中で』。
ジュリエット・ビノシュ演じる、ボスニアからの亡命者である未亡人アミラ。彼女が音の鳴らない鍵盤で、音を空想しながら奏でるのが インベンションとシンフォニア から シンフォニア No. 2
以前に書きましたが、ジュリエット・ビノシュは『イングリッシュ・ペイジェント』でも ゴルトベルク変奏曲 を演奏するシーンを演じていまして、「バッハづいているなぁ」と思って調べてみますと両作品とも監督がアンソニー・ミンゲラでした。
つまり、ミンゲラがバッハに対して何か思い入れを持っているんでしょうね。
そういえば、同監督の『リプリー』でもマット・デイモン演じる貧しい青年トム(その昔『太陽がいっぱい』でアラン・ドロンが演じていました)が弾くピアノは イタリア協奏曲 でした。
更に記憶を遡れば、興業的には成功しませんでしたが初期作品『愛しい人が眠るまで』でも、ジュリエット・スティーヴンソン演じるニーナが亡き恋人でゴーストとなったジェイミー(アラン・リックマン)と思い出の曲を演奏するシーンは ヴィオラ・ダ・ガンバ・ソナタ 第2楽章 でした。
この映画ではその他にも ブランデンブルク協奏曲 第3番 ト長調 BWV.1048 第1楽章 アレグロ、チェンバロ協奏曲 第7番 ト短調 BWV.1058 第2楽章 アンダンテ、無伴奏チェロ組曲 第5番 ハ短調 BWV.1011より 第4曲 サラバンド ・・・まだまだあったんじゃないでしょうか。
こうなるとミンゲラは映画ファンとしてだけではなく、バッハファンとしても注目しなくてはなりませんね。

そういった訳で、バッハ音楽の使用が記憶に残った映画を思い起こしてみましたが、皆さんは何かありますでしょうか?
挙げたら切りがない感じですので、『もう一度観たい映画の上位作』としましょう。

『ソラリス』、『シンドラーのリスト』、『ほんとうのジャクリーヌ・デュ・プレ』、『戦場のピアニスト』、私は怖い映画が苦手ですが『ハンニバル』、『羊たちの沈黙』なんて方もいるでしょうね。
渋いところでは『ある貴婦人の肖像』、『奇跡の海』、以前記事にしましたが『ルパン』シリーズでも使われていました。

私的には数多にある映画作品のNo.1だと思っています『ゴッドファーザー(1972年)』、こちらも終盤でマイケル(アル・パチーノ)が妹コニーの子供の名付け親となって洗礼式をする場面と、ファミリーに楯突く者への血の粛清が行われる場面が交錯する部分で パッサカリア ハ短調 BWV.582 と プレリュードとフーガ ニ長調 BWV.532 (プレリュードの最終部)が使われていました。

ひとつに絞れと言われれば、今の私としては『シャンドライの恋』と答えたいと思います。
1998年イタリア
監督:ベルナルド・ベルトルッチ  出演:タンディ・ニュートン、デヴィット・シューリス
使われていた曲は、平均律クラヴィア曲集 第1巻 第8番変ホ短調 BWV.853 でした。

この選択は、前述の『こわれゆく世界の中で』を観たばかり、その影響ですね。
どちらも大人の恋物語でして、『イングリッシュ・ペイジェント』のような大作でないところがリアリティーのある等身大の刹那さを心に遺します。
これ(『こわれゆく世界の中で』)は、私としては最近観た映画の中で『隠された記憶』(2005年 監督:ミヒャエル・ハネケ 出演:ダニエル・オートゥイユ、ジュリエット・ビノシュ)に並ぶ最高にお勧め作品のひとつとなりました。
但し、あんまりお若い方には馴染めない作品かも知れません。
30代以上のお方にお勧め、 と補足させて下さい。

こわれゆく世界の中で
2007年
監督:アンソニー・ミンゲラ
出演者:ジュード・ロウ 、ジュリエット・ビノシュ


No.165 : オルガンのヴィルトゥオーゾ
2007/09/10
自由形式のオルガン曲異稿シリーズ、もうちょっとです。
で、今回はこの曲を。

J.S.バッハ/プレリュードとフーガ ニ長調 (異稿) BWV.532a/2
J.S.BACH/Prelude and Fugue - D Major BWV.532a/2
m480.mid  オルガン  31.5KB  4′45″

下の曲の、フーガ部分の異稿となります。

J.S.バッハ/プレリュードとフーガ ニ長調 BWV.532
J.S.BACH/Prelude and Fugue - D Major BWV.532
m443.mid  オルガン  59.6KB  11′00″

この異稿譜の出所について、手持ちの書籍を一通り眺めましたが関係する記事には出合えませんでした。ただ1冊『名曲解説ライブラリー J.S.バッハ』の作曲年表、 BWV532 の箇所に括弧書きで『フーガには異稿譜あり』と記されているだけです。

BWV.532 の作曲は1708-11年(バッハ;23-26歳)のヴァイマル時代とされています。
BWV.532a は、それに先行してフーガのみを作曲したと考えるのが自然であろうと思いますので、それ以前の作曲なのだろうと推察されます。

冒頭からの旋律で2小節目に長い休符がありますが、これはパッヘルベル(1653-1706)のニ長調フーガから、良く言えば影響を受けた、悪く言えば真似をしたと考えられます。
若きバッハはドイツの音楽家として大先輩であるパッヘルベルの曲も研究していましたので、パッヘルベルの没後、この大先輩に敬意を表し彼の作品を思わせるフーガ BWV.532a を作曲、後に BWV.532 に纏め上げた。つまり BWV.532a の作曲年は1706年、BWV532 の作曲はその直後と推察してみるのはどうでしょうか?

曲を少々細かくみてみますと、フーガの書法からはブクステフーデ(1653-1706)の影響を読み取ることができます。
また、この4声の壮大なフーガは、特にペダル・パートに高度な技巧を要求しています。
ブクステフーデのオルガン曲に傾倒し、且つペダル技のスペシャリストであった青年バッハの姿を彷彿とさせるフーガといえます。

バッハの2部形式のオルガン曲は、前半部(多くはプレリュード)と後半部(フーガ)が別々に作曲されたのにも関わらず、後世の音楽家が推定で組み合わせて2部形式にしたものが少なくありません。
BWV.532 も、先に BWV.532a が作曲されたとすると、バッハはプレリュードとフーガを別々の曲として作曲したのではないかとの疑念が頭を過ぎりましたが、これは違います。
フーガの最終部はプレリュードの冒頭と類似の性格を示していること等からして、バッハがこの2曲を2部形式の1曲として作曲していることは明らかです。

BWV.532 は、18世紀後半に他の音楽家によってなされた多くの筆写譜面が遺されていまして、バッハ没(1750年)後もドイツのオルガニストに少なからぬ影響を与えていたことが分かります。

No.164 : 移調と大作と未完、それぞれの事情
2007/08/27
オルガン曲異稿シリーズはもう少し続きまして、今回はこの曲を。

J.S.バッハ/トッカータとフーガ ハ長調 (異稿) BWV.566a
J.S.BACH/Toccata and Fugue - C Major BWV.566a
m478.mid  オルガン  56.2KB  10′13″

言わずもがな下の曲の異稿ですが、

J.S.バッハ/トッカータとフーガ ホ長調 BWV.566
J.S.BACH/Toccata and Fugue - E Major BWV.566
m453.mid  オルガン  56.2KB  10′33″

この(異稿の)出所が全く分かりませんでした。
手持ちの書籍から何か手がかりでもと思ったのですが、この異稿譜に触れる記事にはひとつも出合えませんでした。
バッハの作品を網羅している『バッハ作品総覧』にもこの曲の記載は無く、これにはバッハ自身の手による異稿も全て記載されていますので、BWV.566a はバッハの手による異稿ではない、バッハの弟子か同世代のオルガニストが作成したと考えるべきなのだろうか? と思いました。
とすると BWV.566a は(BWV566からみて)移調されていますので、これは異稿譜を作成したオルガニストの勤める教会のオルガン・スペックの事情であろうと考えることもできます。ここからこのオルガニストを推察することも可能かとも思いますが、・・・これ以降は他力本願、どなたか BWV566a についてご存知の方が在りましたら是非『掲示板』で教えてください。

バッハ真作の BWV.566 ですが、作曲年は1706年(バッハ;21歳)頃のアルンシュタット時代とされいいます。
ですが、一部専門家の意見では、『それ以前である』とする説得力のある説もあります。
バッハは1705年(バッハ;20歳)の10月に、当時の北ドイツ派オルガニストの巨匠であるブクステフーデのもとを訪ねています。これは、ブクステフーデのオルガン作品の伝播が当時のオルガン関係者にとって重要であったことが主な理由ですが、バッハ個人としてはブクスフーデの技術を勉強したい、同業者としての自分の存在を知って欲しい、ブクステフーデに自身の作品・演奏を聴いてもらい志の高さを認めてもらいたい、というような動機もあったことと思います。
この為、バッハは自身の作品をブクステフーデのもとに携えていったと考えられますが、これには小品では役不足で大作である必要があります。この大作のひとつが BWV.566 と考えられていまして、従ってこれ以降、つまり1706年以降の作曲では断じてありえないという訳です。
確かに、バッハのオルガン曲の中でも大作中の大作ですね。
バッハのオルガン曲の多くが前半部とフーガの二部構成になっているのはご承知の通りですが、フーガがふたつある等(トッカータはフーガを内在するので当然そうなってしまう訳ですが)その構成からして随分と力の入った作風であることは、この説を後押ししていると言えます。
私自身は寧ろ、力が入りすぎて詰め込みすぎの印象を受けるほどですが、若きバッハの才能を充分に知らしめるという使命を帯びている訳ですから、当然そうなりますわね。


ところで、話は全く変わりまして、以下は“おまけ”という感じで。
バッハには未完のオルガン曲が数曲遺されていますが、その内から1曲、・・・といっても断片のみなので1曲という程の分量はありません。

J.S.バッハ/幻想曲 ハ長調 BWV.573  -断片-
J.S.BACH/Fantasia - C MajorBWV.573

作曲年は、1722年(バッハ;37歳)以降とされています。
1722-23年頃というと、バッハはケーテンからライプツィヒへ移る時期となります。
雇用者が変わって作曲を継続する必要性が失われた、ということなのでしょうかね。

No.163 : 少年バッハの大望
2007/08/15
オルガン曲異稿シリーズはもう少し続きまして、今回はこの曲を。

J.S.バッハ/プレリュードとフーガ ニ短調 (異稿) BWV.549a
J.S.BACH/Prelude and Fugue - D Minor BWV.549a
m477.mid  オルガン  26.0KB  6′50″

下の曲の初稿という訳です。

J.S.バッハ/プレリュードとフーガ ハ短調 BWV.549
J.S.BACH/Prelude and Fugue - C Minor BWV.549
m449.mid  オルガン  25.0KB  6′10″

BWV.549 の作曲(再構成)年は、1723年(バッハ;38歳)以降のライプツィヒ時代とされています。
初稿の BWV.549a は、1702-3年(バッハ;17-8歳)のリューネブルク時代でして、バッハ作品の中でも最も若い頃の作ということになります。
この時代のバッハのオルガン曲は云わば『過渡期』の作品群で、北ドイツ的影響が色濃く、伝統的な作曲法に基づいてはいるものの際立って独創的な作風が特徴であり、誇張と芸術の境界線上にあるといっても良いほどの若さのほとばしりが現れています。

この時期の代表的な作品は下記であるといえるでしょう。

・コラール《暁の星はいと麗しきかな》 BWV739
プレリュード(とフーガ) ハ長調 BWV531
プレリュードとフーガ ト短調 (異稿) BWV.535a
プレリュードとフーガ ハ短調 (異稿) BWV.549a

今回主役の BWV.549a についてその点を少し掘り下げれば、前例の無い8小節のかなり難しい独奏ペダルで始まり、それに続く意外性のある和声に満ちた修辞的、劇的な楽節、かなり凝ったフーガが続いた上に、最終楽章はヴィルトゥーソ的な音型。

例えば、バッハが自作自演で、前述の4曲をプログラムにした演奏会を催したとしましょう。
オルガン演奏家としての高度な演奏技術と、作曲の独創性を観客に知らしめることができます。
つまりは名演奏家振りを示すこと、作曲家として比類ない才能もを示すこと、このふたつが誇示できるプログラムという訳です。
バッハはこの若き時代に、ザンガーハウゼンとアルンシュタットでリサイタルをした記録がありますが、きっとこれらのプログラムで観客にその意図を十分に知らしめると共に、驚きにも似た感銘を与えたことでしょう。

これらが作曲されたのが、リューネブルクの聖ミカエル学校を卒業した直後ということについても興味深い点があります。
当時バッハはに、音楽家としてこれといった仕事はなく、つまりは音楽家として何らの義務がなく、自身の創作と演奏技術の研鑽にのみ集中できる時期であった訳です。

この時代の芸術家は、作曲家にしても画家にしても小説家にしても、誰かの注文を受けてその注文を満たす作品を作り上げるというのが本来の仕事在り方でした。
その時代に、自らの感じるままに独創性の高い曲を数々と作曲できたというのは、定まった仕事が無いという不遇の境遇であったからこそ成しえたということもできると思います。
不遇の境遇と若きバッハの才能のほとばしりが、当時の音楽家の枠を打ち破って、これらの曲が生み出しと考えられます。

BWV.549a の自筆譜にはバッハの手で、『ヨハン・セバスティアン・バッハによるニ短調の前奏曲と幻想曲、ペダル鍵盤を必要とする』と記されています。
この一文からも、若きバッハが自身のオルガン曲に託す大いなる大望が、感じられないでしょうか。

No.162 : ピュアな着想
2007/07/23
オルガン曲異稿シリーズという訳で、今回はこの曲を。

J.S.バッハ/プレリュード(とフーガ) イ短調 (異稿) BWV.543a/1
J.S.BACH/Prelude( and Fugue) - A Minor BWV.543a/1
m476.mid  オルガン  15.6KB  3′37″

バッハのオルガン曲の中でも、かの有名な下の曲の初稿と考えられます。

J.S.バッハ/プレリュードとフーガ イ短調 BWV.543
J.S.BACH/Prelude and Fugue - A Minor BWV.543
m451.mid  オルガン  49.5KB  11′11″

BWV.543 の作曲過程は他のオルガン曲とはちょっと違っていまして、前奏曲、フーガは若い頃に別々に作曲され、それぞれを見直し、組み合わせて、曲全体が完成したのはライプツィヒ時代の1730年(バッハ45歳)以降であるとされています。
プレリュード部の初期稿、つまり BWV.543a/1 の作曲はヴァイマル時代の1706-08年(バッハ21-23歳)、 BWV.543 のフーガ部の作曲はケーテン時代の1717-23年(バッハ32-38歳)とされています。

BWV.543a/1 と BWV.543 のプレリュード部を聴き比べることは、バッハファンにはちょっと興味深いことですよね。青年期と壮年期の作曲スキルがかなり違うことは、私のように演奏に習熟していない者でも良く分かります。
また、旋律の細かい部分、例えば特定の音に♯や♭を使用するかどうか等の微細な部分についても手を加えていて、熟年期のバッハが青年期の自身の作品のどの部分に見直しが必要と感じていたのかも良く分かりまして、バッハ研究家にとっても好材料になっているようです。

BWV.543a/1 は、若きバッハの特徴が良く顕れていまして、例えれば切りが無い感じですが、後年のものとは違う小規模な構成、大胆な不協和音、単声で奏される情熱的で且つ鋭い緊張を持つ主題、ペダル保持音上での早い音階のパッセージ、ラプソディックな性格の中間部と情熱的な最終部。
一言で言えば、ブクステフーデ風というところでしょうか。

これに続くフーガ部は作曲が難しいと思いますが、バッハは巧いことこれを解決して BWV.543 の形に再構成しています。
このフーガの主題はバッハのオリジナルでないばかりか、当初ははクラヴィーア用として作曲されていました。
バッハはこれをペダル演奏を考慮して改変し四声に展開、最終部はトッカータ的なパッセージに変えプレリュードの激しい気分を回想させて終止する形式にし、まるで作曲の最初からこういう構成であったかのようです。

BWV.543 もそうですが、バッハのオルガン曲は、それが壮年、晩年の作曲であったとしても、着想、草案は青年期(特にヴァイマル時代)のものである場合が殆どです。
私自身の実感で恐縮ですが、『大人になってから考え着くことには、ロクナモノガ無い』という考えを持っていまして、大人になると保身や私利私欲、他者の意見の先取りや、理屈言い訳等々から決別することは不可能で、つまりはピュアな着想が難しくなってきます。着想そのもので見れば、少年期、青年期のものの方が自身にとって価値の高い、というよりも他に代えがたいものである訳です。

バッハにとっても若い頃得た着想というのは他に代えがたい、忘れがたいものであったはずです。
ただ、これはあくまでも個人的なものでして、これを前面に押し出すのは多くは個人レベルでのみ許されることでしょう。
であるとすれば、バッハが BWV.543a/1 を後年 BWV.543 に再構成した理由は、職務上の義務とか、他者の依頼や発注によって成されたのではなく、自身の内面的な総決算の一部として成された作業であると思えてなりません。
壮年のバッハの心の中には、少年の頃感銘を受けたブクステフーデの音楽が尚も強く息づいていたということが、新旧の BWV.543 からも分かるという訳です。

No.161 : ナウモフのBWV536(a)
2007/07/16
図らずも昨今は、オルガン曲異稿シリーズという感じになっていますが、今回も同様です。

J.S.バッハ/プレリュードとフーガ イ長調 (異稿) BWV.536a
J.S.BACH/Prelude and Fugue - A Major BWV.536a
m475.mid  オルガン  27.8KB  6′35″

この曲は、下の曲の初稿であったと考えられます。

J.S.バッハ/プレリュードとフーガ イ長調 BWV.536
J.S.BACH/Prelude and Fugue - A Major BWV.536
m429.mid  オルガン  27.4KB  6′51″

BWV.536の作曲は、一説では1716年(バッハ31歳)のヴァイマル時代と考えられています。
また、フーガの主題の原型はBWV152カンタータ第152番《信仰の道を歩め》の序曲が用いられていまして、こちらの作曲は1714年とされています。
これらから、BWV536aの作曲は1715年頃と推察できますが、正確には作曲年は不明です。

あまり知られていませんが、BWV536(536a)には他者による編曲があります。
ナウモフという1962年生まれのブルガリアのピアニストによるもので、私自身はバッハの曲の他者による編曲というのは好きではないのですが、折角同世代に生まれた現代のバッハファンとしては機会があれば聴いてみる価値有りと思います。
少々擁護すると、バッハものとしては異端となりますが決して奇をてらったものではなく、音楽としては透明な響きの正統派といっても良いと思いますが、分かり難くい擁護で済みません。

  J.S.バッハ:ピアノ・トランスクリプション作品集


話は変わりますが、私自身入手はしていないのですが、気になっているバッハ・グッズを紹介したいと思います。

まずは、↓こちら。



『ヤンセン・ハンドメイド・インク / テーマインク』という商品で、ダ・ヴィンチ、コペルニクス、カサエルなどの偉人の肖像をパッケージにしたシリーズもの、音楽家についてもベートーヴェン、モーツァルトなどと共にバッハがあります。
私自身万年筆も浸けペンも使いませんけど、デスクの上に置いてみたい一品であります。1,600円也。

それと、↓こちら。



バッハをジョークにした商品というのは鬘くらいしか知りませんでしたが・・・。
こちらのご購入は、当サイトTOPからの〔私的お役立ちリンク〕の『レオノーレ 世界の音楽ギフトグッズ』からどうぞ。

No.160 : 自筆譜のオルガン曲
2007/06/25
オルガン曲が続きます。

J.S.バッハ/プレリュードとフーガ ト短調 (異稿) BWV.535a
J.S.BACH/Prelude and Fugue - G Minor BWV.535a
m474.mid  オルガン  23.0KB  6′26″

この曲は、下の曲の初稿であった訳です。

J.S.バッハ/プレリュードとフーガ ト短調 BWV.535
J.S.BACH/Prelude and Fugue - G Minor BWV.535
m404.mid  オルガン  31.9KB  8′12″

BWV.535 の作曲年は一説では1717年(バッハ32歳:ケーテン時代)以降とされていますが、初稿である BWV.535a の作曲は1704年(バッハ19歳:アンルシュタット時代)とされてまして、若き日のバッハの作品として有名な、

J.S.バッハ/カプリッチョ《最愛の兄の旅立ちによせて》変ロ短調 BWV.992
J.S.BACH/Capriccio sopra la lontananza del suo fratello dilettissimo BWV.992
m424.mid  チェンバロ  39.7KB  11′08″

と同じくらい若い頃の作品ということになります。


BWV.535a は、バッハのオルガン曲としては貴重な自筆譜が遺されています。
バッハのオルガン曲の自筆譜が完全な形(一部のみが自筆であるような場合を除く)で現代に遺されているものは下記の曲だけですので、

01.六曲のトリオソナタ BWV525-530
02.前奏曲ト短調 BWV535a
03.前奏曲とフーガ ト長調 BWV541
04.前奏曲とフーガ ロ短調 BWV544
05.ヴィヴァルディの協奏曲のバッハによるオルガン用編曲 BWV596
06.オルゲル・ビュッヒライン BWV599-644
07.十八曲のオルガン・コラール BWV651-668
08.オルガン・コラール《いざ来たれ、異教徒の救い主よ》 BWV660a
09.オルガン・コラール《ただ愛する神の手に委ねる者は》 BWV691
10.オルガン・コラール《わが確信たるイエスは》 BWV728
11.オルガンコラール《曙の星はいと麗しきかな》 BWV739
12.オルガンコラール《イエスよ、わが喜び》 BWV753
13.オルガンコラール《曙の星はいと麗しきかな》 BWV764
14.カノン変奏曲《高き天より、われは来れり》 BWV769a
15.ファンタジー ハ短調 BWV Anh・205

BWV.535a はバッハの楽譜の書き方の遍歴を知る上で希少な研究資料になっています。

自筆譜が遺されているのは、かつての所有者であったライプツィヒ大学のオルガニスト、ヨハン・ゴットリーフ・メラー(1774-1833)の名に因んで『メラーの手稿譜』と呼ばれている楽譜帳です。
その主要筆写者はバッハの長兄であるヨハン・クリストフ(1671-1721)でしたが、 BWV.535a についてはバッハの自筆記入で、教養者でありバッハの音楽の師でもあった兄が、若き弟の作品を高く評価していたことを物語っています。

で、↓これがその自筆譜ですが、

 ←クリックで新フレ拡大します。

壮年期の達筆さには及ばないところがありますが、若い頃から音符も文字も書くのが非常に上手な人だったということは良く分かりますね。これは楽譜も文字も、当時既に相当な分量を書き記していた結果なのだろうと思います。

楽譜の上の方に書かれているのは副題というのでしょうか、『ヨハン・セバスティアン・バッハによるト短調の前奏曲とフーガ、ペダル鍵盤を必要とする』という内容が、ラテン語、イタリア語混合で書かれています。こういう書き方が、多分おしゃれだったんでしょう。

もうひとつ、この自筆譜は清書稿であるとされています。
つまり、構想を含め作曲自体が成されたのは、もっと若い頃ということになります。


ところで、変わってこのサイトの話になりますが、初期のリニューアル時の設定ミスでカウンターが20,000強ほど減表示となっておりまして、それを加算すると100,000ヒットを超えたようです。
ひとつの区切りに達し、訪問各位様に御礼申し上げます。

たまにサイト名称を条件にしてネット検索してみますと、最近では全く見ず知らずのサイト様がリンクしてくれていたり、ブログの記事にしてくれていたり、思いがけない支援も頂くようになりました。
幸いにも酷評のような記事には出会ったことはありませんが、一件だけ困ったのは海外のアダ○ト・サイトからのリンクを発見したことでした。咎める気持ちは一切ありませんが、『バッハ工房』を検索条件にしてそういうサイトが出てくるととってもウロタエます。特に会社の昼休みには・・・。
長くやっていると色んなことがあるようで、兎にも角にも陰ながらのご支援には御礼申し上げます。

No.159 : 赤い上着のバッハ
2007/06/18
オルガン曲が続きます。

J.S.バッハ/プレリュードとフーガ ホ短調 (異稿) BWV.533a
J.S.BACH/Prelude and Fugue "Little" - E Minor BWV.533a
m473.mid  オルガン  18.0KB  5′16″

下の曲の異稿となっています。

J.S.バッハ/プレリュードとフーガ ホ短調 BWV.533
J.S.BACH/Prelude and Fugue "Little" - E Minor BWV.533
m426.mid  オルガン  21.1KB  4′50″

BWV.533 の作曲年は1703-07年(バッハ:18-22歳)頃のアルンシュタット時代とされていまして、その原型と思われる BWV.533a は当然それ以前の作と考えられます。

BWV.533a については、これ以上の情報が得られませでした。
よって、バッハ関連の雑事を少々。

上野へダ・ヴィンチを観に行きましたら急な夕立に遭いまして、近くの音楽ホールで雨宿りをしながら雑貨店で所有していないバッハ・グッズを発見。
絵葉書ですが、


左は、

J.S.バッハ/リュートのためのフーガ ト短調 BWV.1000
J.S.BACH/Fugue - G Minor - lute - Solo Instrumental Works BWV.1000
m305.mid  ギター  16.1KB  5′26″

のバッハ自筆譜(風)。
この曲の譜はよくバッハ・グッズに使われます。マグカップやハンカチ、ノート、雨傘、大型のリトグラフもあります。

真ん中は、

J.S.バッハ/無伴奏フルートのためのパルティータ イ短調 BWV.1013
J.S.BACH/Partita - A Minor - flute/recorder - Solo Instrumental Works BWV.1013
1.アルマンド  Allemande
 m255.mid  シンセサイザ  27.3KB   5′06″
2.クーラント   Courante
 m256.mid  シンセサイザ  25.6KB   3′44″
3.サラバンド   Sarabande
 m257.mid  シンセサイザ  19.0KB   2′53″
4.ブーレ・アングレーズ  Boueerr Angloise
 m258.mid   シンセサイザ  24.3KB   2′53″

のバッハ自筆譜(風)。
この曲がグッズに使われているのは、珍しいのではないでしょうか。
それにしても、僅か葉書一枚にこの組曲全曲が収められているというのは、優れモノだと思います。

右は、言うまでも無くバッハの肖像画ですが、この絵は初めて観ました。
ポップ・アートというのでしょうか、この分野の知識がウォーホールと映画で観たヴァスキア程度しか無く、申し訳ないのですが誰の作品なのかも不明です。
ですが、観ていていやな感じが全くせず、名のある人の手によるものと思えてきます。
また、赤い上着のバッハというのもこの作以前(あるいは、以外)にはないと思いますが、斬新で印象的です。


話題変わりまして、バッハと直接関係はありませんが、下の書籍を読了したところでして、お勧めですので紹介しておきたいと思います。

  音楽革命論 玉木広樹 著

クラシック音楽ファン、特に三大B(バッハ、ヴェートーヴェン、ブラームス)ファンにとって目から鱗が落ちる一冊です。
私自身も全面的に賛同という訳ではなく、賛否あると思いますが、一読すれば音楽に対する認識は少なからず変わるものと思います。
著書は地方ですと入手し難いと思いますが(私は都内の大書店2軒で見つからず、3軒目の新宿の超大書店で出会えた次第です)、著者のHPでネット購入できますのでご興味がある方はそちらをどうぞ。

玉木宏樹公式HP